久しぶりに五億年ボタンについて調べてみた。非常に面白い。
ボタンを押したら意識が謎空間に飛ばされて死なず眠らず五億年過ごして、終われば押した後の自分に戻ってきて記憶は消えて100万円もらえる。感覚的にはボタンを押したら100万円出てきただけ。
わたしは押す派。
今この世界のエレベーターのボタンが五億年ボタンかもしれない。バスの停まりますのボタンが五億年ボタンなのでは。押しまくってるけどなんにも変わらず毎日過ごしてる。そんな感覚で100万もらえるなら押す。
しかしながら押す派は考えが足りないように言われがち。想像力が乏しいとか。
押さない人が記憶は消されても体験は消えない。と某掲示板に書いていた。そこが押さない理由のようだ。しかし記憶にないものを体験したと言われてもそれは果たして体験したといえるのか。
夢を見てその夢に出てきた友だちが楽器を演奏していたとして、その友だちに楽器演奏してたよと言ってもわからん的な?でもそれは体験したとはいえないから例えとしては間違ってるかも。
赤ちゃんの頃に家族でディズニーランド行ったのよと言われても記憶にないから行ってないってのに似てるのか。その後の赤子の人生にこのディズニーランドに行ったという体験が関わってくるのかどうかがポイントなのか?
ディズニーランドは楽しい体験だけど五億年となると楽しいなんてもんじゃないからその体験が自分に残ることが辛いと言ってるのか?100万円をもらった後の人生は五億年過ごした後の人生だけど何かそこに問題があるのか。押さない人の考え方がわからない。
こんなにも分かり合えないテーマがかつてあっただろうか。
なるほど!!体験そのものが嫌なのか!!今のこの生活が五億年として死が記憶をリセットされるということか!これが今体験しているということなのか!!!気づきを得た。